JOHN PAYNE - GUTHRIE GOVAN (GPS) SPECIAL INTERVIEW!!
2007.04.03 at ホテル阪急インターナショナル
元ASIAのジョン・ペイン(vo&b)とガスリー・ゴーヴァン(g)が中心となって結成したバンドGPS。デビュー・アルバム「WINDOW
TO THE SOUL」のプロモーションで来日した彼らに早速インタビューをしてきました!
―GPSはどのようにスタートしたのですか?またその時にバンドのサウンドイメージはありましたか?
ジョン・ペイン(以下J):あれは2006年1月だったかな。「ARCHITECT OF TIME」と呼ばれるはずだったASIAのアルバムのレコーディングが半分以上進んでいたとき、(オリジナルASIAプロジェクトの発足により)、突如として、バンドは崩壊の道を辿ることになってしまった。そんな中、ジェイ・シェレン、ガスリーと僕は全員が一致団結して、新しいバンドを結成することになったんだ。バンドの方向性としては、ASIAとは違うものにしたかった。このバンドで長きに渡り培われてきた音楽的要素みたいなものは、部分的には継承されたとしてもね。すぐに出てきた結論としては、よりヘヴィでプログレッシヴ、そしてもっと長い曲、これらの方向性が自分達にフィットすると思ったんだ。
過去10年間以上、僕はレコード会社の言う「俺達が欲しいのはラジオでかかるような曲だ。君たちが4分の曲を作ったら、俺達が編集してやるよ」という態度にフラストレーションを感じていた。ラジオのTOP40でかかるような音楽ってのは常に変化するもんだし、実際のところ、僕達はTOP40バンドになるつもりはなかった。そこで皆に言ったんだ。「僕達がやりたい音楽ってものをやろうよ。僕達が好きな音楽を。このレコードこそが自分自身だってものを。」 皆でこの決断をした後、キーボードに奥本亮が加わり、GPSの音が完全に固まったんだ。
―そうだったんですね。では、 デビュー・アルバム「WINDOW TO THE SOUL」について、お二人の感想をお願いします。
J:アルバムのレコーディングは思っていたよりずっと楽しいものだった。前作の「SILENT NATION」はアメリカ、南アメリカ、ヨーロッパではとても好評で、そんな状況の中、ASIAが突然終わってしまったのは、自分にとっては全くの驚きだった。実際、その時期、ASIAはかつてないほどエネルギッシュにツアーも行っていたからね。正直、そんな中だから「WINDOW TO THE SOUL」のレコーディングはもっと落ち込んだフィーリングで進められるのかなと思ってた、ところが、それは全く違う方向に向かったんだ。レコーディングは本当に楽しかったし、皆が均等にクリエイティヴィティを発揮してくれた。僕達はアルバムをLED ZEPPELINやFREEみたいなクラシック・バンドの作品みたいにしたいなって思ってたし、何より自分達が満足するものをつくりたかった。もしこのレコードを誰も買わなくたって、大丈夫。僕達は、これが自分自身だってものにしたかったんだ。
ガスリー・ゴーヴァン(以下G):自分でもおかしいな、と思うんだけど、僕の耳には、ASIAの作品の多くよりも、このアルバムの音がモダンに聴こえるんだ。70年代のフィーリングでいこうって作ったアルバムなのにね。
―レコーディングは順調に進みましたか?
J:レコーディングは実際は2箇所で行われたんだ。僕達はバンドとしてはLAのパラマウント・スタジオの「CAVE」っていう実に素晴らしいレコーディング・ルームで録音された。後で知ったんだけど、ジミ・ヘンドリックスやフランク・ザッパもこの部屋で録音したことがあったんだ・・・。LAでは自分達のスタジオもあって、全てのオーバーダビングはそこで行われた。ガスリーは全てのギターを3週間で録音した。アルバムはキーボード抜きで録音され、その後、僕達は良いキーボーディストを探したんだ。僕達はたくさんの人たちに声をかけて・・・その中でリック・ウェイクマンもいて、彼もこのレコードに興味をもってくれたんだけど、その時、彼はちょうど忙しすぎたんだよね。そんな中、ヨーロッパのレーベルの社長が奥本亮はどうか、って推薦してくれたんだ。で、僕達はキーボードを録音するための日にちを何日かセットした、そしたら、たったの2日で、亮はアルバムのための全てのキーボード・パートを録音してしまった!これは凄い経験だったよ。
―アルバム収録曲についてお聞きします。歌詞についてですが、過去を振り返る内容が多いように感じました。どのような思いで作詞されたのでしょうか?
J:普段は、アコースティック・ギターで作曲する。まず、僕がテーマとメロディを作って、それをジェイとガスリーに持っていって、皆でリハーサルし、一緒にアレンジを作っていく。歌詞は、だいたい、作曲の途中から、徐々に出来上がってくる。アルバムってのは、自分が思うには、人生の中で、貴方がどこにいたのかって感じる日記みたいなものだと思うんだ。アルバムは、あなたの人生のまさにその時のスナップショットみたいなものであるべきだと思う。アルバムを通しての一貫した歌詞のテーマってのはないよ、そのときそのときの、自分の感じたことのコレクションみたいなものになっているね。
―ASIA在籍時と比べて、若干ヴォーカル・スタイルに力強さが加わったような気がしますが、なにか変化はありましたか?
J:僕はASIAにいた時はいつだって比較の対象になっていたバンドはFOREIGNERとかSTYXとかそういったジャンルのバンドだった。その類のバンドはボーカル・ハーモニーや綺麗なメロディなんかで知られていたよね。このアルバムでは、もっと現代的なものにして自分の声の高いキーを押し出そうとしたのは、意識的に決めたことだったんだ。これは僕の音楽的なバックグランドが何処から来たか、自分がASIAに入る前はどんな風に歌っていたかを皆に聞かせる良いチャンスだと思ったからね。僕は一時期、THE MICHAEL SCHENKER GROUPのキーボード・プレイヤー、アンディ・ナイとIRON MAIDENを脱退したクライブ・バーと一緒のバンドにいたことがあったよ。僕はとてもハード・ロックの影響を受けていたし、こういった影響みたいなのを、もっとこのレコードで披露したいと思っていたんだ。
―さて、アルバム・デザインにジョン・カロドナーが登場していますが、どんな意味が込められているのでしょう?
J:ASIAの「ARCHITECT OF TIME」のアルバム・カバーで、ジョン・カロドナーに登場してもらえないかな、とジェフ・ダウンズに言ったんだ。僕はレオナルド・ダ・ヴィンチとかそういった感じのキャラクターを使いたくて、ジェフに「カロドナーだったらパーフェクトだよ」って言ったんだ。ジェフは彼を知っていたし、ジェフなら彼に連絡をとって頼んでくれると思ったのさ。 でも、ジェフは「だめさ、彼はそんなのやらないと思うよ」って言ってその話はおわっちゃったんだ。僕達はフGPSのロンド・カバーに関してコンセプトを決めようとしているとき、スヴェンガリ(人を操る力のある人物)みたいな人がテレビを見てるようなのにしようってことになったんだ。そんな中で、僕は、再び、ジョン・コロドナーに頼んでみようと思って、彼のオフィスに連絡したけど、彼は不在だった。だけど後からジョンは連絡くれてね。彼は是非やってみたいって言ってくれたんだ。素晴らしかったね。
―今回のアルバム「WINDOW TO THE SOUL」に収録されている曲で、本来ならASIAのために書いた曲、あるいはその頃に書いた曲はありますか?
J:そうだよ。幾つかの歌は最初はASIAのために書かれた曲だ。もし、それらをASIAの曲としてレコーディングしたなら、それらはもっと短く、大きなハーモニーやスムース(耳障りの良い、AOR的な)なプロダクションになっていただろうね。僕達は、数日間のリハーサルの後、それらの曲がASIAの歌とはかなる違ったサウンドにすることを決断した。でも確かなのは、今回のアルバムの半分は、「ARCHITECT OF TIME」のために書かれたものだと言うことさ。
―もし、「ARCHITECT OF TIME」が完成していたら、どんなサウンドになっていたのでしょうか?
J:基本的には過去のASIAのアルバムのスタイルと似通ったものであっただろう。でも僕達は楽曲をもっと長く、そしてレトロなサウンドで、もっと70年代調にしようと考えていた。実際“Architect of Time”って曲は奥本亮の弾くキーボードで完成となったわけで、もし、ASIAとしてリリースさえれていたらどうなっていたかは分からないな。8分か9分あるような凄く長い曲だったけど・・・たぶん、いつの日かリリースされると思うよ。
―そのアルバムは「SILENT NATION」みたいなサウンドでしたか?
J:いや、そうは思わなかったな。「SILENT NATION」のドラマーはクリス・スレイドで、彼は素晴らしいドラマーだったけど、彼のアプローチは非常にストレートだったんだね。僕達がジェイ・シェレンと録音を始めた時、彼はちょうど。イエスのメンバーだったビリー・シャーウッドとベースのクリス・スクワイアと組んでいた「Conspiracy」プロジェクトの直後だった。ジェイはUK(ジョン・ウェットンが70年代後半に組んでいたプログレ・バンド)に凄く影響を受けていたから、僕が想像するに、「ARCHITECT OF TIME」はクラッシクなASIAとUKのミックスみたいなサウンドになっていたんじゃないかな。
―ジョン。あなたは1991年にASIAに加入しますが、どのような経緯で加入が決まったのでしょうか?
J:僕はアンディ・ナイとクライブ・バーとで「パッション」というバンドを組んでいて、ロンドンのマーキー・クラブでプレイしていた。その後、シャロン・オズボーンの兄弟のデヴィッド・アーデンからアプローチがあって、ELOに加入してくれないかと頼まれた。ジェフ・リンは一年前に脱退していて、僕はジム・スタイマンと一緒に六ヶ月間、ニューヨークで働くことになったんだ。新しいELOのアルバムを作ろうとしたときに、ELOの名前を巡って大きな裁判が繰り広げられていた。それで僕はロンドンに帰ってきたんだ。その頃、ジェフ・ダウンズからエイジアにベース兼ボーカルとして加入してくれないか、と頼まれた。僕は最初はどうしようかなって感じだったね。なぜなら、僕はそれまでベースを弾きながら歌うってのはやったこと無かったから。でも、なにかそのうち、とてもやってみたい気持ちになってきて、そのオファーを受けて、エイジアに加入したんだ。
―ELOのことについてもう少し詳しく、お願いします。
J:それはとても興味深い時期だったな。僕は大のELOファンだったんだ。あの時期、僕は大きなスケールでのスタジオ作業を楽しんでしまっている一人のミュージシャンでだったと思うし、素晴らしいスタジオの環境の中で働きながら、新しいテクノロジーをエンジョイしていたよ。ジェフ・リンはスタジオ・マンとしての最高レベルの一人だったわけで、ELOに誘われるなんてのは、新しいBEATLESに加入しないかって、頼まれるようなものだったんだ。残念なことに、このバンドからは何のリリースも出来なかったけどね、一つだけ、ASIAの「ARCHIVA」の曲で“Alo”って呼ばれてる曲があったけど、これは「ASIATIC LIGHT ORCHSTRA」として書いた物だったんだ、ジム・スタイマンとの仕事は最高の経験だったね。素晴らしい時間だったし、あのスタイルの中で仕事ができたのは本当に良かった。
―あなたは大のELOファンだったそうですが、ASIAのファンでもあったわけですか?
J:それは本当に良い質問だね。今まで聴かれたことのない質問だ。あの頃、僕はJOURNEYやFOREIGNERといったアメリカン・スタイルのバンドの大ファンだった。僕はスティーブ・ペリーの声の大ファンだったんだ。ASIAは好きなバンドの一つだったけど、大好きってわけではなかったかもね。
―ガスリー、あなたはASIAに2001年に加入したんですね?
G:その通り。私はロンドンの近くの学校でギターを教えていました。その学校のドラムの先生の一人がマイケル・ストゥージズで、彼はいくつかのASIAのアルバムでプレイしていました。彼は後に“Aura”となるテイクを聞かせてくれて、バンドがレコーディングのためにギタリストが必要なんだということを説明してくれました。マイクは私を推薦してくれて、その後、ジョンが連絡してきて、スタジオに来てセッション・ギタリストとしてプレイしたいか聞いてきた。私はそれがギターを学校で教えているより楽しそうだと思い、スタジオに行ってみることにしたんだ。スタジオでは、ビニー・カリウタがドラムでトニー・レヴィンがベースでいて、「これは凄い」と思いましたね。私の大好きなリズム・セクション・プレイヤーと一緒にレコーディングするなんて、それはとてもエキサイティングなことでした。まぁ、結果として、彼らは私をクビにするということはしなかったと・・・
J:やろうとおもったんだけどね!
―ところで、オリジナル・ギタリスのスティーブ・ハウからの影響がありましたか?
G:影響は受けざるを得なかったですね。もし、あなたが、とてもたくさんの人が聞いていた歌をプレイする時、あなたは皆が歌を思い出せるようなスタイルでプレイしなくてはならないでしょう。私は、楽曲の中に自分自身を表現しようと試みるけど、昔の歌ってのは、皆が過去を思い出せるように弾かなければならないと思う。聴いていたそれぞれの人にそれぞれの思い出があるからね。ある時、ショウが終わってから私のところに来て「Wow、あなたはスティーブ・ハウのパートを本当に上手く弾くことができるね。とても感動したよ。」 正直言うとそれは難しいことではないです。本当に大変なのは、オリジナルの人が最初にそれを演奏した時です。スティーブは彼の音ってのをもっているからコピーするのはたやすい。一番難しいのは、楽曲を作る時です。ASIAに関わっていって、たくさんの曲をプレイして、それでだんだんエンジョイできるようになったけどね。
―そのASIAでの演奏で何か意識をしたことはありますか?
J:僕達は全ての歌を100%の力で演奏したよ、観客数の多い少ないに関わらずね。GPSでもASIAでも同じことだ。ライブ・コンサート、それはいつだってエキサイティングなものだよ。それは観客からのリアクションから来るんだ。楽曲を演奏していて、エモーショナルな気分でライブを行えるなら、それ以上良いことはないね。
G:私はジャズからテクノやメロディック・ロックまであらゆる音楽を何年間もプレイしてきた。音楽にとってスタイルってのはあまり重要じゃないよ。音楽を通してよいコミュニケーションが出来たら、オーディエンスとうまく繋がることができる。ASIAとのプレイすることで僕は世界中に行くことができた。私は、音楽ってものが、人々の話す言葉に関係なく、皆を幸せに出来るものだってのを学んだよ。それは今まで経験したことないものだったよ。
―今、ASIAを離れてみてどんな思いですか。
J:エモーショナルな感覚は、バンドに対しても人に対しても変わらないものだと思うよ。ASIAは僕の人生の15年間を占めていた。でもGPSがこんなに早く出来上がって、僕の人生で失なわれたものを乗り越える手助けをしてくれたんだ。今、僕は別のチャプターを始めたところだ。大切なのは今と未来だ。GPSはとても上手くいってる、けれどまだまだ長い道のりを始めたばかりだ。まだ、本当に最初の段階だよ。
G:ASIAはなるようになったんだと思うよ(再結成プロジェクトのこと)。それは起きたんだ。それを悪くとるか、人生での新しいチャンスととるか、それをどうとるかはその人次第だ。GPSは自分達のとった選択だったのさ。
―GPSの今後の展開を教えてください。
J:全ての新しいバンドは何をするか考えた時、もっとも重要なことはツアーに出ることだね。僕達が今回、日本に来た主な理由は、今年後半にライブショウをできないか話し合うためなんだ。作曲したりレコーディングしたりするのも好きだけど、同じくらいの情熱を持って、このレコードのためにツアーをやりたい。僕はヨーロッパでいつくかのショウをこなしたけど、このバンドは今まで自分が関わってきた中でベストなものだと言えるんだ。アメリカでツアーを開始して、次にヨーロッパ、そしてできれば日本に戻ってきたいな。
―次のアルバムの曲やアイデアはもうあるのでしょうか?
J:そうだね。次のアルバムの曲は何曲か既に出来ているよ。でもまだ「WINDOW TO THE SOUL」をプロモーションするために色々とやらなきゃならないことがあるんだ。次のアルバムもデビュー・アルバムみたいな感じになると思うし、音的にはそれほど大きな変化はないんじゃないかな。でも、バンドは進化すると思うし、ちょっとした変化も出るだろう。今、何より重要なのは人々にこのアルバムを聞いてもらうことだと思ってる。
―ところで、お二人の好きな音楽はどんな音楽ですか?
J:僕はたくさんの音楽を聴くんだ。アメリカでは、クラシック・ロック・ラジオステーションがあるからね。僕はたくさんの新しいバンドも聴くけど、最近のバンドはテクノロジーでごまかしているバンドも多いよね。70年代や80年代初頭は、バンドはショウをプレイしデモを作ってレーベルとサインし、アルバムを作った。今は、バンドは最初にアルバムを作って、そのレコードを売るためにツアーをしてる。全く逆になってるよね。今あるいくつかのバンドが、これから30年間ライブをやり続けられるかっていったら疑問に感じる。でも、今まで30年間プレイし続けたバンドは、まだツアーすることができるよ。
G:私にとっては音楽のスタイルとかは重要ではない。音楽が良くて、そこに誠実さがあればOKさ。初期のロックンロールは確かな信念と誠実さで作られた。ビリー・ホリデイみたいな歌手達は彼らの歌う言葉に意味を持たせていた。今日のたくさんの音楽って、計画され大量生産され、音楽が大衆に売るものの前提になっているよね。
J:何かがまた変わってくれればいいな、って期待している。例えば、70年代のパンクの爆発みたいに。テクノロジーがなにか良い方向に変えてくれればなと思っている。
―バンドとは関係なく、全くの一個人として、一度やってみたい音楽というのはありますか?
J:長い間、多くの人がソロアルバムを作らないのかって聞いてきたし、いつの日か作ると思うよ。ガスリーと僕は時々、自分達でこの質問をすることがあって、僕達はおそらくファンク・ロックみたいなものをやると思う。グレン・ヒューズは素晴らしいものをやっているよね。
G:やれたらいいなと思っていることで、自分のソロバンド以外だと、カントリー・バンドでプレイしたいってのがあるんだ。GPSや自分のソロプロジェクトでもこれは実現できないことだけど・・・
J:もうひとつ、もっと出来たらなと思っていることで、映画のサウンド・トラックをやってみたい、ってのがあるんだ。僕達はバンドとしても今度、公開される映画「Black Friday」に関わっていて、僕達はテーマソングを書いたんだ。今年の後半、イギリスで公演されるんだけど、ジェフ・ウェインの「宇宙戦争」のステージで、元々はフィル・ライノットが演じていた役を僕がやることになっているんだ。イギリスではとても大きな会場で行われるんだよ。100人のオーケストラと仕事をするのは素晴らしいだろうし、彼らと歌ったり、多分、スコアを書いたりするのは最高だろう。これはずっとやってみたかったことのひとつさ。
―では、最後に日本のファンへのメッセージをお願いします。
J:皆にこのバンドと「WINDOW TO THE SOUL」を聴いてもらいたい。GPSには何か新しいものがあると思う。日本のファンは、他の国の人たちが失ってしまったロックンロールへの情熱を持っていると思うんだ。もし日本がこのバンドを迎え入れてくれたら嬉しいな。
G:このアルバムを楽しんでください。また戻ってきて、君達のためにプレイできたらいいなと思ってます。

「WINDOW TO THE SOUL」 DWCR-1002
GPS公式サイト
レーベルサイト
協力:
ホテル阪急インターナショナル